うたかた
この3連休に遠出を計画していたが、初日の朝が雨で、出鼻をくじかれてしまった。まもなく雨は上がったが、出かける気が失せてごろごろと過ごした。ごろごろしすぎて、なんと夕方ベッドに入ったら夜中まで熟睡、結局朝まで寝てしまった。睡眠たっぷりで1食浮いたというおまけ付き。
さて気を取り直して2日間バージョンで出発。岐阜から中山道沿いに米原へ。湖岸道路をたどって到着したのはJR安土駅。観光客用の無料駐車場がある、とググって出てきたので、駅南側に向かった。正確には駅の南口にある城郭資料館の駐車場で、一般の観光客が自由に使っていいというものではなかった。
ともあれそこに駐車し、カメラを担いで安土城跡に向かった。2km弱の道のりを秋の日を浴びて散策、途中からのたんぼ道ものどかの一言に尽きる。安土山のふもとには無料の駐車場がひろがり、事前の情報収集が足りなかったことを実感した。だが、往復の散歩ができることを喜ぶべき、と気を取り直した。少なくともこの時点では。
城跡ではあるが全体が寺の管理になっていて、入場料700円也が必要。なにやら特別展があってそれは別料金で、と商魂のたくましさを知った。展示が目的ではないのでそちらはスルー。さて歩き出した、というより登り出した、と書く方が的確だろう。ひたすら石段を登る。折からの日差しもあって汗が噴き出る。日頃の運動不足がたたって、足取りは重い。
休み休みたどり着いた天主跡は、標高200m程度とちょっとした丘程度だが、登った感想としてはけっこうな山城。地の利を生かして敵から身を守り、領民に威厳を保つにはちょうどいいのかもしれない。柱の土台となった石が並ぶ平地で、7階建ての建物があったとは思えないほど狭い。後で訪れた「信長の館」で見たアニメと再現した建物をこの土地に重ね合わせると、大きさ的に整合性がとれないような気もする。
正確を期すためにパンフレットにあった数字を拾っておく。石垣に囲まれた部分は東西・南北それぞれ28m、ここに建った木造の建物は5層7階(地上6階地下1階)で高さは33m。
下山してまたたんぼ道をたどった。すれ違う人もなく、やっぱりのどか。安土城は築城に3年かかり、信長は住んで3年後に本能寺の変に遭遇する。セイタカアワダチソウの向こうに見える丘に信長がはかない夢を重ねていたのだなぁと430年前に思いを馳せた。
安土駅からの途中、セミナリヨ(学校)跡の石碑が立っていた。背後の山が安土山。
山頂の天主跡。建物の土台になった石が並ぶ。
山頂から琵琶湖方面を望む。対岸の山はたぶん比叡山の辺り。
さて気を取り直して2日間バージョンで出発。岐阜から中山道沿いに米原へ。湖岸道路をたどって到着したのはJR安土駅。観光客用の無料駐車場がある、とググって出てきたので、駅南側に向かった。正確には駅の南口にある城郭資料館の駐車場で、一般の観光客が自由に使っていいというものではなかった。
ともあれそこに駐車し、カメラを担いで安土城跡に向かった。2km弱の道のりを秋の日を浴びて散策、途中からのたんぼ道ものどかの一言に尽きる。安土山のふもとには無料の駐車場がひろがり、事前の情報収集が足りなかったことを実感した。だが、往復の散歩ができることを喜ぶべき、と気を取り直した。少なくともこの時点では。
城跡ではあるが全体が寺の管理になっていて、入場料700円也が必要。なにやら特別展があってそれは別料金で、と商魂のたくましさを知った。展示が目的ではないのでそちらはスルー。さて歩き出した、というより登り出した、と書く方が的確だろう。ひたすら石段を登る。折からの日差しもあって汗が噴き出る。日頃の運動不足がたたって、足取りは重い。
休み休みたどり着いた天主跡は、標高200m程度とちょっとした丘程度だが、登った感想としてはけっこうな山城。地の利を生かして敵から身を守り、領民に威厳を保つにはちょうどいいのかもしれない。柱の土台となった石が並ぶ平地で、7階建ての建物があったとは思えないほど狭い。後で訪れた「信長の館」で見たアニメと再現した建物をこの土地に重ね合わせると、大きさ的に整合性がとれないような気もする。
正確を期すためにパンフレットにあった数字を拾っておく。石垣に囲まれた部分は東西・南北それぞれ28m、ここに建った木造の建物は5層7階(地上6階地下1階)で高さは33m。
下山してまたたんぼ道をたどった。すれ違う人もなく、やっぱりのどか。安土城は築城に3年かかり、信長は住んで3年後に本能寺の変に遭遇する。セイタカアワダチソウの向こうに見える丘に信長がはかない夢を重ねていたのだなぁと430年前に思いを馳せた。
安土駅からの途中、セミナリヨ(学校)跡の石碑が立っていた。背後の山が安土山。
山頂の天主跡。建物の土台になった石が並ぶ。
山頂から琵琶湖方面を望む。対岸の山はたぶん比叡山の辺り。
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